この作品30首は2008年第23回『短歌現代』(現在廃刊)新人賞に応募し次席入選した拙歌です。私の父は2002年に胃癌と診断され、手術するもその後転移、闘病の末、同年の冬55歳で他界しました。
西の山に日はあかあかと入りてゆく彼岸のゆふべ父おもほゆる
夜釣りより帰りし父が笠子とりて煮魚つくる朝のたのしさ
俎板の笠子に出刃を叩きあて尾鰭はげしくふりたるを見ゆ
晩酌の父のかたはら黒鯛の煮つけをともにつまむ夏の夜
夕暮れに帰りきたりてほの甘く魚を煮つむ香はなつかしき
鯵の骨に湯をかけてすすり飲む父のけふの夕餉は終はりたるなり
鯵の髄のだしのうまきをすすりたる父は笑まひて我に差し出す
日曜の朝(あした)は父が厨に立ち甘きだし巻きたまご作れり
残りたる秋刀魚の背骨は炒りて喰はむ父との夕餉を君に教へぬ
削ぎおとす血鯛の鱗を日に透かしうすももいろに輝くを見ゆ
走水の社に立ちて海を眺む波おだやかに船はゆきかふ
白銀(しろがね)にかがやく新芽春まだき小楢の山に父と入りゆく
犬つれて父と二人で歩みゆく休みの朝の風心地よし
尾は巻きて足太々と耳が立つ四国の犬に父は似てをり
台風の近づく夜にろうそくを灯して聞きゐる怪談「蒼頭巾」
三人子は黙ふかくしておそろしき父の語りを耳すまし聞く
真夜中にさまよふ坊主が草わけて歩む足音せまり聞こゆる
元旦に祖父(おほちち)と父が諍ひて畳のうへに瓶が転びぬ
胸を掴み罵りあひていさかひぬ皿こなごなに割れる音する
飛び散りて割れたるグラスに我が母は指(おゆび)を深く切りてしまへり
鮮やかな母の血の色ひたすらにこゑ張り上げて我は泣きにき
父の額にちひさき傷が消え残るをさなき父を傷つけし者
をさな子を抱きて屋根より飛び下りしあやまち深き祖父(おほちち)をもつ
母をしたふ心のふかく父をうとむ思ひ消えざるわが父のいたみ
きもの縫ひて家計ささえる祖母(おほはは)を八つの父ははや助けをり
をさな子が暗き朝(あした)に自転車をこぎ出してする新聞配達
をさな子のズボンの裾に噛みつきて犬は子どもを転び落とせり
ああ父は五十歳(いそとせ)半ばで死にゆきぬかたくこはばる背中忘れじ
胃を病みてもの喰はずなり一服のたばこをいとしみ吸ひて死にたり
作業服を着て仕事する人のうへに父のおもかげ探す我なり