ここに集めた歌は二〇一六年、アメリカのオバマ大統領が広島へ来日した時の中継を見て、それをきっかけに家族で広島へ出かけた時のことなどを詠みました。短歌雑誌『歌壇』短歌賞にも応募してみましたが落選。その拙歌を拾い集めて加筆修正しました。落選ではあっても原爆や戦争の被害を調べ子どもと学んだこと、平板でも自分なりに戦争に向き合って歌を詠んだことを今でも大切に思います。
鶴を折りて広島に来しアメリカの大統領を好ましく見ゆ
広島に大統領が行くを見て我れこそ行かねばならぬと覚ゆる
たまさかに広島にゆき八月六日爆死したりぬ母の大叔父
被爆者を標本として診るといふ過去を知らずに我は生きをり
七十年を越えて生きぬき今もなほ病は癒えぬその人を知れ
日ざかりに平和の鐘を子とふたり鳴らしてゆかむ旅のはじめに
原爆のドームを背にして子と写る我があさはかな笑みを悔ひゐる
水面照る元安川の穏やかな流れに小舟が漕ぎ出だしゆく
苦しみのうちにうごめき元安川に死にゆきし人あまた悲しき
真っ黒に焼け焦げて死す小さき子を抱ける母の逆立てる髪
崩れ落つ梁にはさまれて泣く子等を置きてそ来ぬや狂ひ泣くこゑ
火のやうに泣く子のこゑが耳朶(じだ)の奥深きに残りて苛(さひな)みやまず
夜もすがら屍(かばね)を焼くる火の明りひと月ばかりかうかうと照る
たたかひに生き得し人はあまりある悔ひに心をしだかれて生く
からくして生き得し人の身の内に原爆症が若き夢断つ
貴(あて)やかな折り鶴の色よどみなく折りこまれたる心清(すが)しき
原爆のスラムは昭和五十二年街より消えて跡形もなし
燦として立ち直りたる広島の楠並木の影くらく見ゆ
そぞろゆく八丁堀に赤シャツのカープのファンとまたすれ違ふ
広島より帰りしのちに『夏の花』読めば地名が胸に立ちたつ
平和展が駅ビルの中に催され広島の遺品を子らと見にゆく
小山より広島へ送る鶴を折らむ原爆の子らはただ生きたきに
肌が剥け痛ましき人の写真を見て二人子は恐れ帰りたがりぬ
恐ろしきものだから見よと子を叱る我は叱れるほどの者なるか
読み聞かす『おこり地蔵』に黙(もだ)ふかく聞きゐる子らの心しづもる
核軍縮の会議に勇気は消え入りて国家は容易く変はれぬものか
次の世の子らには何を与ふらむ真白き萩の花に雨降る