こころねのうた

ほんねで歌いたい

ははそはの母

ははそはの母の命(いのち)の終はるまでなにをかやらむなぐさめの花

残されし母の五感にうたへたる術は何ぞと思ひ始めり

来たる日を怖れてもよしその果てのこころ和(な)ぐ歌なぐさめの歌

母が耳はまだ聞こゆるらし今日からは君のチェロの音聴かさむとする

わが愛づる小品集をいつしかも母に聴かせむ坂のぼりゆく

入院の日々を重ねし垂乳根の母が心に届けむとする

みずみずしチェロの音ひびけ一人臥す母の心を和ませたきに

なぜにはや気づけずにをりあさはかにわが過ごし日の母の寂しさ

病む母の枕辺に置く花束は清かに煌くピアノの音もする

むくみたる母の手のひら揉みてゆく動(なよ)めかぬ指を曲げ伸ばさむよ

面会の時間の終はりに寝たきりの母がひと声あげて呼びとむ

音楽はうらさびてゆく胸そこに響きたるらし母を目覚ます

ひと声といへどもしばらくぶりに聞く喉を震はす母の声色

「ありがたふ」と言っているのだと姉は言ふさふなら嬉し11月14日

母のこゑ聞きてうれしき秋の日は金に光りて街にあふるる

さねさしの相模の海よ馬入川よまたひと目見む今日はさやうなら

金色(こんじき)の秋の光に照らされる横浜駅をすぎてゆきたり

 

幾たびか見舞ひゆく

渋田川に白鷺群れて遊びをり母を見舞ひにゆく土手の道

曽我物語虎女の墓を参りゆくしづめの旅の果てにあるもの

高根台の坂道ゆきて仰ぎ見る芒はしづかに穂をなびかしぬ

臥す母に声かけたれば目を合はす瞳は涙にぬれぬれと照る

とがりたる母の額をなでやらむ御髪(みぐし)をなでて共に泣きたり

病む母に聞かせゆきたる耳のそば『おやすみまえのいのり』読みゆく

かみさまと読み上ぐ声のふるへつつ祈りのことばにわれは泣きにき

時折に息の止まれる母を見て動画を撮らむ共有もする

別室に怒れる人の声響く冬の陽射しは病室に差す

弱まれる息吹をひととき聞きゐりて帰り行きゆく山影の道

山下に稚きときを過ごせし日住みたる貸家に誰ぞ人は住む

倒れたる木の根の元に秘密基地遊びをしたりしところはいづこ

一本(ひともと)の細き道ゆく人気(ひとけ)なくただ高麗山の影のかなしさ

日の暮れに花水川の水の音(ね)は清(すが)しく響きとほりくるなり

あたたかな師走の明るき朝の日の病室のなか母は身罷る

霊安室へ声をかけつつ運びゆく看護師の仕事しみじみと見ゆ

ははそはの母の死にたる日の夜の星は明るく輝きにけり

星空は寒くすがしき明日よりは母の無き世を生きゆくわれか

明けやらぬ庭に撫子を摘みにきて北斗七星輝くを見ゆ

あからひく朝靄けぶる相模川ひそやかに吹く風のつめたさ

母を葬(はふ)る冬の朝(あした)は美しや生(あ)れいづる日の暁の色

亡き母のわざにやあらむはしきやし相模の川にかかる朝霧

自宅にて母を葬(はふ)らむこの家に二十年(ふたとせ)ぶりに族(うから)集ひぬ

霜枯れず咲く撫子を見せたきに母の棺に入れて別れぬ

涙する人はなし母の葬儀ぞと兄の言葉を思ひ返せり

吹き荒ぶ夜の風強く眠らへぬ鳥はいづくに宿りたるらむ

怖ろしく吹き荒び猛る夜の風に払ひ清まれ遠きふるさと