こころねのうた

ほんねで歌いたい

心の垣根をこえて-人権作文

令和元年度 栃木県人権作文応募作品

心の垣根をこえて

 イギリスの作曲家のなかにアルバートケテルビーという人がいたのはご存知でしょうか。一番よく知られているのは「ペルシャの市場にて」という作品かもしれません。私が特に好きなのは「心の奥深く」という作品です。5分余りの小品ですが、賛美歌を思わせる美しさと力強い旋律で、初めてCDを聴いたときは心が震えました。そして、一体どんな背景から作られた曲なのだろうかと知りたくなって調べてみることにしたのです。

 ケテルビーは一八七五年にイングランドで生まれ、音楽の才能を開花させ、イギリスで最初の億万長者作曲家になった人だそうです。「心の奥深く」は一九二四年、ケテルビー四九歳の時の作品で、この曲にはユダヤ教の礼拝の時に歌われるフレーズが引用されていることがわかりました。

 彼は一〇代の頃、教会のオルガニストを務めていたのですが、なぜユダヤ教の音楽に影響を受けたのだろうか、とさらに調べてゆくと、ケテルビーの妻がユダヤ人女優であったことがわかり、少なからずその影響が想像されました。当時のイギリスではユダヤ人や女優に対する偏見が強く、彼女との結婚のためにケテルビーは家族から断絶されてしまったのだそうです。

 日本に暮らしていると、ユダヤ人がなぜ差別や迫害に遭わなければならなかったのか、その歴史にふれる機会が少ないため、理解し難く感じました。迫害の原点は、イエス・キリストへの裏切りにあるようなのですが、なぜそれが二千年以上にも渡るほど、根深くなってしまったのでしょうか。私の夫の祖国イランにも少数ですがユダヤ人が暮らしているので、夫にイランではどうなのか尋ねてみました。ユダヤ人といってもイランで何世紀にも渡って生活している人々です。イランの公用語ペルシャ語を話し、生活もイランの様式なので、信仰が異なるイラン人と捉えられているそうです。イランにおけるユダヤ信仰の歴史は古く、紀元前六世紀まで遡ることがわかりました。ペルシャ帝国の興亡や王の交代などによって、弾圧されたときもあったようですが、母親がユダヤ人という王の出現によって、信教の自由が認められ、ヨーロッパで迫害を受けていたユダヤ人よりも人として生きる権利が認められていたそうです。

 またこのほかにも、イランの古都イスファハンには、イスラム教のモスクと同じ形をしたドームの頂上部分に、小さな十字架が掲げられているモスクが、あります。これはキリスト教徒のための建物です。このような共存の考え方、寛容な心こそが今まさに世界で必要な意識なのではないかと感じています。

 人は理解し難いものには恐れや嫌悪を抱きやすい弱い心を持っています。一度悪いことが起きると、特定の人たちにその原因をおしつけてしまうことがあります。しかし、自分の理解できないことが起きても、その人や民族をすべて否定することが正しい行いなのでしょうか。或いは自分たちよりも生活水準が低いと一方的に見做し、見下したり搾取することで互いに安らぎを得られるのでしょうか。

 私は以前、長男が生まれた際にイランの親戚からたくさんのお祝いの品をいただきました。正直なところ、玩具や洋服は日本の安価なものよりも品質の劣るものがあり、困惑してしまいました。勿論、質の良い物もありましたが、それが彼らにとってどれほど高価なものであるのか考えが及ばすにいたのです。真心からくれたものに対して私は浅はかでした。何よりも、夫の母や妹たちが手編みで作ってくれたベビー服や毛糸の帽子、靴などには心から深く感激しました。これがペルシャ絨毯の国、編み物の国だと気付かされたのです。ひと目ひと目を編みながら、当時まだ見ぬ孫や甥の姿を想像し、語り合っていたであろうイランの家族の心を思うと、私は恥じ入るしかありません。この経験から文化の異なる者同士がわかりあうためには、相手の立場を尊重し、その国の芸術や歴史を知ること、更には子供たちにそれを伝え、曇りのない子の心に根拠のない優越感や嫌悪感などを植え付けないようにすることの大切さを強く感じました。

 ケテルビーユダヤ教の音楽を作品に取り入れた側面には、もしかすると心の垣根を取り払い、宗教や民族を超えた一人の人間としての良さを認めあえる未来であるよう、願いをこめていたのかもしれません。

 イスラム教には捧げ物祭りという宗教的なお祭りがあります。その起源は、神へ生贄にした羊の肉を、家族や近所の人たち、恵まれない人たちと分かち合うことにあるそうです。境遇の異なる者同士が平和な食卓を囲むことで緊張がほどけ、互いに尊重し、許しあえる仲になれるかもしれないのです。ここに寛容になるための可能性を覚えます。その理解への道筋が開かれた世界であるように願ってやみません。

心の奥処(こころのおくか)

新型のウィルスによりて籠ること善しとされたる日を重ねゆく

日々に子の学びをたゆまず導ひてゆくこと難しいかにかはせむ

二人子の宿題見終えてまひるまに洗濯物を干す日もありぬ

『石上私淑言』読む耳の底我が肩の辺に師の声を聞く

なつかしきにほひのするといはれけりいとほしき君が心の奥処(おくか)

朝日照る明るき部屋の寝床にて啄木歌集を飽かず読みゆく

変はりなき子らの体温を測ること疎ましきなり庭に日はさす

幾度も庭に百舌鳥来ぬ篠竹のなかに雛(ひひな)をはぐくみたるや

たをやかなチェロの調べを身の内の奥深く聞き入りてしづもる

おのずから人をひたすらま愛(かな)しみあひ思はるる我れでありたし

駱駝の性(らくだのさが)

四月より保育の仕事に就きにしが心は添はずなりにけるかも

小さき子の思ひにそひてやすらぎの保育はいかにと悩み始めり

目に見えて成りいづるものを見せたらむと逸(はや)る心の保育と思ほゆ

空(から)にして悩まずひたに仕事して馴れてゆかむと言ひきかす朝

なかつ子は学童はいやだと泣きだしぬわが心しづみ弁当をつつむ

学童の保育に二人子を預く今さらに夫(つま)が反(そむ)きだしたり

学童にウィルスありてうつりなばいかにかせむと夫が言ひ捨つ

我が思ひ君はたやすく踏みにじり出掛けに責められ悔し泣く朝

浅はかな男と我れは知らずして躓きの石を抱きたりしか

うらがなし駱駝は怒り荒(すさ)ぶとき報ひたるまで虐ぐるらし

日本の女は駱駝の性(さが)を持つと夫(つま)がたはぶれ言を思ひづ

帰り来てまづ謝りてくるわが夫に仕事を辞せばよしかとぞ問ふ

砂漠ゆく駱駝にならむ清姫の蛇にもならむ報ひたるまで

父のおもかげ

この作品30首は2008年第23回『短歌現代』(現在廃刊)新人賞に応募し次席入選した拙歌です。私の父は2002年に胃癌と診断され、手術するもその後転移、闘病の末、同年の冬55歳で他界しました。

西の山に日はあかあかと入りてゆく彼岸のゆふべ父おもほゆる

夜釣りより帰りし父が笠子とりて煮魚つくる朝のたのしさ

俎板の笠子に出刃を叩きあて尾鰭はげしくふりたるを見ゆ

晩酌の父のかたはら黒鯛の煮つけをともにつまむ夏の夜

夕暮れに帰りきたりてほの甘く魚を煮つむ香はなつかしき

鯵の骨に湯をかけてすすり飲む父のけふの夕餉は終はりたるなり

鯵の髄のだしのうまきをすすりたる父は笑まひて我に差し出す

日曜の朝(あした)は父が厨に立ち甘きだし巻きたまご作れり

残りたる秋刀魚の背骨は炒りて喰はむ父との夕餉を君に教へぬ

削ぎおとす血鯛の鱗を日に透かしうすももいろに輝くを見ゆ

走水の社に立ちて海を眺む波おだやかに船はゆきかふ

白銀(しろがね)にかがやく新芽春まだき小楢の山に父と入りゆく

犬つれて父と二人で歩みゆく休みの朝の風心地よし

尾は巻きて足太々と耳が立つ四国の犬に父は似てをり

台風の近づく夜にろうそくを灯して聞きゐる怪談「蒼頭巾」

三人子は黙ふかくしておそろしき父の語りを耳すまし聞く

真夜中にさまよふ坊主が草わけて歩む足音せまり聞こゆる

元旦に祖父(おほちち)と父が諍ひて畳のうへに瓶が転びぬ

胸を掴み罵りあひていさかひぬ皿こなごなに割れる音する

飛び散りて割れたるグラスに我が母は指(おゆび)を深く切りてしまへり

鮮やかな母の血の色ひたすらにこゑ張り上げて我は泣きにき

父の額にちひさき傷が消え残るをさなき父を傷つけし者

をさな子を抱きて屋根より飛び下りしあやまち深き祖父(おほちち)をもつ

母をしたふ心のふかく父をうとむ思ひ消えざるわが父のいたみ

きもの縫ひて家計ささえる祖母(おほはは)を八つの父ははや助けをり

をさな子が暗き朝(あした)に自転車をこぎ出してする新聞配達

をさな子のズボンの裾に噛みつきて犬は子どもを転び落とせり

ああ父は五十歳(いそとせ)半ばで死にゆきぬかたくこはばる背中忘れじ

胃を病みてもの喰はずなり一服のたばこをいとしみ吸ひて死にたり

作業服を着て仕事する人のうへに父のおもかげ探す我なり

呼子鳥(よぶこどり)

この歌は2007年ころに短歌雑誌『短歌現代』(現在廃刊)の新人賞募集に寄せて創作したものを加筆修正した作品です。

不妊に悩んでいた当時の思いは忘れがたく、上げました。その頃の私は原稿用紙の書き方を完全に理解しきれておらず、選考の段階で没になったと思われます。不妊治療を続ける友人にこの歌を捧げます。

不妊治療を施す医師は早口に治療の術を話し始めり

お互ひに欠けたる体と知りてのち君は我が身を責めずなりにき

内診台に座(ま)して台座はあがりゆきカーテンの裾が腹にふれくる

医師の名を知らぬままなる診察に我は黙(もだ)して足ひろげをり

手ぎはよく超音波鏡を抜きとりてゴム手袋をはずす音する

ポリープの摘出手術が始まりてももいろのわが子宮内見ゆ

麻酔より目覚めてさびし我ひとりうす暗き部屋の隅に寝ていつ

鈴の音をひびかせ近づきくる人は誰れそわたしの母が来りぬ

君とわれのために施す人工の授精と思ひて心しづめむ

洗ひたる精子を針より注ぎこみて内診台の上みごもらむとす

体外の顕微授精をすすめられわれの心はそはずなりゆく

二十九歳をむかへし朝(あした)友よりの妊娠したりとメール届きぬ

子を欲しと思ひ煩ひたる友が身ごもりてのち我れは遠ざく

子を受くるは神のまにまにと思へども身ごもる人を羨しみて見ゆ

五年(いつとせ)を君と共寝る子はなけど楽しきくらしと思ひつづけたし

人みなの明るく生きて見ゆる日に朱き西瓜を独りむさぼる

猫の子の生(あ)れて五日を箱につめ早き川瀬にながしにゆきぬ

砂浜に嬰児(みどりご)果てぬあたらしき命はたやすく捨てられにけり

如月の冷たき空に子をビンにつめて燃やせるゴミと投げ捨つ

ゴミ箱のなかに臍の緒つけしまま子は捨てられて泣き死ににけり

をさな児は虐げられて死ににけり救はれがたき命いたまし

人の子を喰らふ鬼子母神にやはらかな小さきわが子をそなへまつらむ

理のすさみゆく世に罪あまた瑞穂の国の水生臭し

初夏(はつなつ)の青き空なる呼子鳥こゑを恋ほしみ幾朝を待つ

風そよぐ五月の朝の青空にひときは高く呼子鳥鳴く

呼子鳥かなしからずや口うつしに雛を育む術を持たざる

あこあこう木立にとまりて鳴くこゑを霧雨のなか聞きて帰りぬ

すこやかにいのちはぐくむこのほしの空ながむれば心すみゆく

里山の小楢若葉の道の辺をわが子の手をひき君と歩まむ

十姉妹のつがひに一羽の雛生(あ)れてちひさきこゑを聞けばうれしき

大聖堂

はるかなるパリの夕空 勢いよく火は大聖堂を燃やさむとする

ノートルダムの大聖堂の高き塔が燃えさかり崩れ落ちてゆくなり

燃え落ちてゆく大聖堂を深々と悲しみて見るパリの人々

パリに住む人の悲しみ深からむ黙してひたに火を見つめゐる

常にあるものはなしとは知りたれど大聖堂の燃ゆるかなしさ

ドビュッシー フォーレ ゴダールも眺めやらむ尖塔は燃え焼け落ちにけり

悲しみのうちにも歌ふ人ありて清き祈りを継ぎてゆくらし

尖塔は焼け落ちにけりかなしみのうちより深き歌をうたひぬ

スペインの国営放送は燃ゆる火を小さき画面に報じ続けぬ

大聖堂の鐘よふたたび鳴り響け哀しみ深きパリの夜の空

雑歌

われ独り重荷を負ひてぬかるみをゆく心地して人を羨しむ

許すこと忘るることと思ひおよびパッヘルベルのカノン聞こゆる

元年のはじまりの雨は降りやみて朝(あした)の空は澄みてあをめる

窓をあけて土のにほひを吸ひこみぬ今朝真新し雉の足あと

広島に届け折り鶴二人子と椅子に並びて黙(もだ)し鶴折る

たたかひの史を学ばむ はらからの過ちは はらからが贖ふ

しろがねの針の雨ふる盂蘭盆の庭に濡れ咲く黄のをみなへし

紫蘇の葉を庭に摘み出てひぐらしの声聞こえくる夏の夕暮れ

洋なしの味はなつかし真裸に閨にまろびて甘き実を食す

ひらひらと羽のひとひら舞ひ落ちて秋の庭辺に鳩の声する

いかにせむ魔法をつかへますやうにサンタクロースに子はたのみけり